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野球盤開発秘話
野球盤開発秘話

昭和33(1958)年、この年は後にミスタージャイアンツ、ミスタープロ野球と称されることになる長嶋茂雄がプロ球界にデビューした年として日本球史に刻まれるエポックメイキングな年となったが、同時にエポック社が創立され、野球盤が世に送り出された、まさに”エポックメイキング”な年であった。

野球盤の生みの親にしてエポック社の創業者である前田竹虎(故人、1918~97)は戦後、先輩の誘いを受け出版会社に加わっていたが、その会社の新規事業としてジグソーパズル事業を立ち上げ、試行錯誤の末にこれを成功に導く。
商品を開発し、販路を開拓、これを宣伝して、消費者に受け入れてもらう。
このダイナミズムに魅せられた前田は、次なる商品として野球ゲームの開発に着手する。

当時、戦後の復興に合わせて、野球人気の高まりは目覚ましく、娯楽の王者を占めようとしていた時期であり、また、前田自身、幼少時代に叔父の家にあった輸入物の野球ゲームに熱中した思い出もあった。
それまでもパチンコゲームのような野球ゲームは存在していたが、球を投げ、球を打つ、そんな野球の一挙手一投足を忠実に反映した野球ゲームの開発に前田は腐心した。
そしてついに、バネを利用して球を発射し、ゼンマイを使ってバットを回転させることによって、それらの動きをリアルに再現することに成功したのである。
前田の本物志向はこれだけにとどまらない。
盤上に立てられる選手を模したピンはこけし職人により作られ、盤自体も家具職人によって作られた本格品であった。
そのため、最初に発売された1号機は、58cm四方という、当時の玩具の中にあってはかなりの大型で、また、値段も当時の大卒初任給が1万2千円程度だった時代に1750円という破格の価格設定であった。

このような規格外の商品に問屋筋などは不安をもったが、前田は自らの考案した野球盤を世に問うべく、エポック社を設立して、販売をスタートさせた。
しかし、結果は予想外に好調で生産が追い付かないほどとなり、不安は解消された。

 そして、前田はさらなる攻勢に出る。
野球盤と同年にデビューし、初年度、いきなり本塁打、打点の二冠王、翌年も首位打者と早くも球界を代表するスター選手となっていた長嶋選手を広告に起用したのである。
前田は何と、一面識もない長嶋を直接訪問、直談判で、この出演交渉をまとめたのである!
同時に玩具業界では初となるこのTVコマーシャルも昭和35(1960)年に放映した。

 その一方で、前田はまた、商品改良にも余念がなかった。
発売初年度には盤面を紙製にして、より安価なB型を開発、翌年には早くも、磁石を使ってカーブボール、シュートボールを投じられる機能が搭載された。
その後、他社から類似商品が発売されたりして苦しい時期もあったが、日本は高度成長期に突入、玩具のマーケットも拡大して、野球盤はゲームの定番商品として定着して行く。
前安定期に入った野球盤は一部の機種のデザインに『鉄腕アトム』、『ディズニー』といった人気キャラクターを採用していたが、昭和44(1969)年には、当時人気を呼んでいた野球マンガ『巨人の星』が新キャラクターとして起用されることになった。
そうなれば、当然のように、作中で投じられている魔球が野球盤の上でも再現できないか? というアイデアが浮かんでくる。
前田から「野球盤の球を消せ!」と『消える魔球』機能の開発を命じられた当時の開発担当者は考えた。発売開始から既に10年余を経て、もう完成し切っている商品に、あまり大きな仕様変更は加えられない、球を盤の下に落とすしかない。その結論に辿り着くのは早かったが、その後の試作は失敗の連続であった。
結局、この開発で最も苦労した部分は、球を落とすことよりも、通常の投球の際にいかに盤面をなめらかに保つかということだったという。
どうにか、消える魔球を完成させたが、その一方で、この機能のために、今まで健全なゲームだった野球盤が意地悪なゲームに変容してしまわないか心配だったそうだ。しかし、担当者の心配は杞憂となる。

昭和47(1972)年に発売された消える魔球機能付きのBM型は絶賛をもって市場に受け入れられ、野球盤の売上は再び上昇カーブを描くところとなった。
しかし、どのようなオプション機能が付こうとも、球を投げて、それを打つという野球盤の基本的な遊びに変わりはない。
野球盤はその後も、人工芝モデルを取り入れたり、東京ドームの出現に触発されて、やはり屋根付きのフルオートモデル、そして2004年にはスタンダード、阪神タイガースが発売されるなど、時代に即したモデルチェンジを繰り返しているが、実際の野球のように投げて、打つというコンセプトは前田竹虎が開発した1号機の頃から不変のままである。
また、その単純明解なコンセプトゆえロングセラーたりえたのではなかろうか。
野球盤の魅力の全ては、1号機の中に既にあった。そう言っても過言ではないのかもしれない。
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